小さな親切をつづけた郵便配達夫の物語に感動

今日は北野武剛力彩芽らが出演する「奇跡体験!アンビリーバボー」で郵便局員へのサプライズというコーナーがあった。ストーリーは以下の通りだが、
https://www.fujitv.co.jp/unb/contents/190704_3.html
実際見ていて涙が止まらなかった。主人公はごく普通の郵便配達夫で、中流以上に見える家庭に35年間郵便を届け続けるだけのことだが、この人がする小さな親切が大きな違いを生む。彼は何も求めず、自分がどう扱われるかも気にせず、ごく小さな親切を全く変わらず続けるのだ。35年間の郵便配達の仕事を終えようとした日、待ちに人々が彼に感謝を表すべくサプライズのパーティーを企画した。彼は郵便配達を引退したが、コミュニティーの愛される友人として当たり前の毎日を送っている。
 私たちは、つまらない日常の起こってもいない、起こりそうにもないことを想像して、不愉快になり、ゆううつになったりしてします。特に年を取ると、これから起こる楽しそうなことが少なくなるだけで、過去の不愉快な出来事の反芻や増幅して、他人に対しての親切を惜しみ、壁を作り、地域の「家族」を作るのを拒否してしまう。
 このグラハムという郵便配達夫の生き方は我々(少なくとも私)とは対照的に見える。簡単に言ってしまってできることではないけれど、当たり前の日常にすこしだけ小さな親切をつけ加え、見返りを求めない、そんな生き方を続けていけたらと思う。それが最後まで充実した幸せな人生を送る秘訣に違いない、そんな風に考えさせてくれる番組だった。

最近「~しなさい」がつく書名の本が不愉快なの。。。

さいきん「~しなさい」といういい方がついた書名をよく見かけるが、ほんとにいやだ。吐き気がする。私たちが他人に対して「~しなさい」といういい方ができる根拠は何だろうか?人は自分と同じ人生を歩んでいるのだろうか?経済力、健康、特技、趣味、ひとりひとり似た部分があり、違う部分がある。
 大切なことは人に似た部分を見出し、あるいは共感を求め、しかし違うところも尊重し、尊重までできなくても、違いを認めることである。「立ち読みしなさい」「えこひいきしなさい」などほっといてほしい。自分が上であることを誇示し、人を見くだし、アドバイスをしたがり、その人間がほんとは何をして、何ものなのか。このような貧困な精神がほんとにいやだ。
 しかもチラ見してみると、根拠となる十分なデータも示さなかったり、あるいは曲解したりしている。もちろん、このような書名は出版社が主導となってつけたものだろう。著者の意図とは異なっているのかもしれない。
 それでも出版社の意図を受け入れているのだし、「著者」として表示されている以上、署名も含めて書き手の責任であることはあきらか。せめて、「~しよう」(「~しませんか」のほうが好きだが)、「~の提案」「私は~してみた」のようなタイトルにならないものだろうか。ただやかましく、口汚く、無責任にとりあえず言いたいことを言ってみました、そのような書き散らし、いいチラシがいまのネット時代に合っているのかも。

北の日本ではいまが一番気持ちがいい季節です。27度というとちょっと熱いような印象がありますが、むしむししないのが北日本のいいところ。ヨーロッパの夏と似てますよね。

町にもう少し花があればなぁ。冬の雪がすごいので、雪対策の世話をしてやるのがたいへんなのかな。町をあるいてると、昔はきっといい家だったのかな、ていねいな門構えだなと思わせる旧家もあるけれど、豪商を思わせる豪邸でも、今は空き家になっているものがたくさん。

いつか都会に住みたいな。来年は都会か、郊外に移るつもり。旅だったら、さびれた街の風景も旅愁にしてしまえるけど。。。いなかでもないので、街中はただ人が住めるというだけ。でもただ5分車を走らせると、息をのむ田畑や清流や水鳥のすがたが楽しめます。結局、美しいものも、楽しさも、幸せも、自分の中に、気づきの中にある、と反省しました。

また月曜日がめぐってくる。。。

 昨日は日曜日でもこの地方で英語教育にかかわっているひとたちとの談話会に出席した。ネイティブスピーカーの人がたくさんいて、逆に日本人はぽつぽつ。用事で出たり入ったりしてたが、後半の小さいグループでの話し合いに楽しく参加。

 今日は仕事で大事な提案書を出す日(ほんとの締め切りは先週の木曜日だった、とほほ)だが、何度も書き直しを命じられてようやくネットで提出。最近コンジョがなくなってきて、チェックされたところを丁寧に書き直さなくなった。出せばいいやというわけではないが、今回の提案書は自分のフィールドではなく、今一つ見通せないところがつらい。

 老母が施設に行くのを見送ったが、いつもだったら昼食や夕食を手伝いに施設までいくのだが、今日は夕方から会議があっていくことができず。。。思いが残ってしまった。明日は昼も夜も行く予定。少しでも恩返しして、というか、やはり母親への執着だと思う。

 仏教では執着を捨てるようにいうが、この母親への執着だけは自分でも許すことにしている。すべての執着が悪いわけではない。誰にも迷惑をかけず、喜んでくれる人がいる、それなら執着はゆるされる。ただ執着やその時々の惑い、思いの強さに気づいて感情が穏やかになればいい。

 最近は腹が立たなくなった。ただ空しく感じることもある。それもすべて受け入れて北国は駆け足で冬が来る。。。

10月も終わりの金曜日、なんだかだと忙しかったが、無事に乗り切る!母を世話してくださる施設の皆さん、病院の皆さん、皆さんに感謝。これまでの腎臓専門の研究、高度医療病院から総合病院に変わることになりましたが、ここまで母を良くして頂いてとても感謝。でもやさしくしてくださった看護師さんから離れるのは少し寂しいような気もします。

 エレベーターも無事に治り、母を施設から引き取ることができた。とてもうれしいです。いつもかわいらしくしてくれるお母さん、感謝しています。

 仲良くしている職場の友人の友人、イギリス人の人と出会って話した。とても興味深い話をしてくれた。日本語や日本文化にも深い知識をもっていらして、いい出会いができました。またお会いして今度は食事でもごいっしょに。。。

 最近いろんなことを考えて、考えすぎてちょっと疲れ気味かも。でも考えをやめようとするのはむだ。今を素直に受け入れて、悩むときは悩み、喜ぶときは喜び、寂しいときは寂しがる。ただその時々の気持ちに気づくことだけは忘れないように。

 明日は土曜日だけど、ヘルパーさんに来てもらえるので少し職場に出て仕事をしよう。。。明日は明日だ。

ちょっと疲れた

 昨日は大変な一日だった。介護している母の体調が悪いとショートステイしている施設から電話をもらって病院で待ち合わせ。。。最初施設の看護師さんから引き継いだ時はぐったりして見えたのに、見てもらっているうちにどんどん元気になっていく。。。胸もおなかもレントゲンは異常なし、血液検査も異常なしで、吐き気は瞬間的に血圧が高くなったからかも、と言われてほっと一息。

 でも87歳の母が驚異的な回復力を持っていることに感動。皆さんに感謝した。夕方ショートステイに帰ってこちらも帰宅、それから今日の仕事の準備。

 ヴィパッサナーの瞑想をYou Tubeで聞くと、気持ちが落ち着く。あとYou Tubeで大好きなナイツとノンスタイルの漫才を楽しむ。便利な時代になったなぁ、と60過ぎの人間はしきりと感心。。。なんでもこだわらず、今一瞬を楽しむ、静かなひと時。

 結構忙しいな、自分の年にしては忙しいかな、と思う毎日です。でも自分の年、なんていう決めつけはどうかな。若者、年寄り、その中間の人たち、それぞれがいろんな決めつけ、それの自分への、他人への押し付け、から苦しんでいるような。

 過去からの年の流れも、これからどうなっていくのかな、という心配も結局自分の力でどうすることもできないもの。マインドフルネスや多くの仏教、あるいはキリスト教や哲学者のいうように、今ここをただ気づき、受け入れ、そして手放していく、そこには年齢も関係ありません。

 ただ秋の一日が過ぎ去っていきました(いきつつあります)。今日は北日本は生暖かく、大雨まではいかないまでも、ぐずついた天気でした。その中で母の口にやわらかい食事を一口ずつはこび、笑顔を交わし、食後に足をさすります。

 家に帰ってきて明日の仕事の準備を少しして、お風呂に入って寝る。それだけでいいんじゃないかな、って思います。すこしは物足りないきもちもあるけれど。。。